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最高裁判所第一小法廷 昭和55年(し)9号 決定

主文

本件抗告を棄却する。

理由

申立代理人弁護士田口康雅、同今村俊一の抗告趣意は、憲法二一条、三一条、三五条違反をいうが、その実質は事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、すべて刑訴法四三三条の抗告理由にあたらない。

なお、本件出版物と同じ出版物について、これが刑法一七五条のわいせつ文書図画にあたらないとした所論未確定一審判決における判断内容が法律上当然に捜査機関を拘束するものでないとした原決定の判断は、正当である。

よつて、刑訴法四三四条、四二六条一項により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官団藤重光、同中村治朗の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官団藤重光の補足意見は、次のとおりである。

本件捜索差押許可状には、差し押えるべき物として、「本件発行、販売に関係ある単行本『愛のコリーダ』の原本、著者との通信文、写真原版、製版ポジ、紙型、校正刷、写植版下、割付紙、販売台帳、販売先名簿、納品書控、請求証(書)、領収証(書)、配本伝票、在庫表、発注控、通信文、メモ」が記載されている(参考記録一四二丁以下)。もし製版ポジ、紙型などをもすべて差し押えたならば、有罪判決前に捜査機関によつて、本書の出版そのものを不可能にすることにもなりかねないのであつて、それは憲法二一条の規定する表現の自由、事前検閲の禁止との関係において重要かつ困難な問題を含むものといわなければならない。この問題は、令状による司法的抑制があるというだけで簡単に解消するものではないであろう。ただ、本件においては、実際には、若干の校正刷が捜索場所で発見され差し押えられたにすぎず(参考記録一五〇丁以下)、右に想定したような事態には立ちいたらなかつたのであるから、ここでは、差押許可の裁判の違法に遡つて議論をする必要はないものと考える。

裁判官中村治朗の補足意見は、次のとおりである。

本件特別抗告を棄却すべきものとする点については私も異論がないが、本件差押処分の根拠をなす東京簡易裁判所裁判官の昭和五四年一二月一七日の差押許可状には重要な法律問題が伏在していると思われるので、この点に関し若干の私見を附加しておきたいと思う。

本件は、大島渚著の単行本「愛のコリーダ」を販売し、又は販売の目的で所持したことが刑法一七五条の罪にあたるとして起訴された抗告人の代表者である表記竹村一が、右被告事件の第一審において右書物が同条にいうわいせつ文書にあたらないとして無罪の判決を受けるや、右判決に対しては検察官からの控訴があり、未だ無罪判決が確定していないのに、直ちに同書の増刷、販売を開始したため、捜査当局において東京簡易裁判所裁判官に捜索差押許可状を申請し、上記許可状を得て抗告人に対し捜索差押を行い、これに対して抗告人が準抗告をし、これについての決定に対して当裁判所に特別抗告をした、という案件である。右の捜索差押許可状に基づいて現実に差し押えられた物件は、前記書物の増刷分の口絵写真の校正刷見本一三枚、「愛のコリーダ」第一版第四刷にかかる刷見本一冊分、帯カバーの刷見本一〇枚にすぎず、抗告人が増刷分として完成した書物はすべて差押から免れているが、差押の根拠とされた前記差押許可状自体は、許可される差押の対象として、抗告人の所持する増刷にかかる前記書物の全部のほか、写真原版、製版ポジ、紙型、校正刷、写植版下、割付紙等右書物の増刷に関する物件をあまねく掲げており、右許可状申請に至る経緯に照らすと、捜査当局は、できる限り、抗告人が増刷にかかる右書物を販売する前に差し押え、かつ、その後の予定された増刷をさせないようにすることを意図して右の申請をし、裁判所もまた、これを可能ならしめる措置として前記許可状を発付したものと考えられるのである。

ところで、右の包括的な差押許可状は、わいせつ文書の販売を目的とする所持という被疑事実に関し、その証拠物としてのみならず、むしろ主としては、有罪判決がされる場合に没収されるべき物として予めできる限りその全てを差し押える等の必要があるとして発せられたものと解されるが、右のように、特定の出版物につき、刑法一七五条のわいせつ文書にあたるとの嫌疑のもとに、それが読者の手に入る以前の段階でそのすべてを差し押えることは、現実には思想の表現をそれが相手方に到達する以前において抑止する作用を営みうるものであるから、検閲の禁止を定めた憲法二一条二項の趣旨との関連において、検討されるべき重要な問題をはらむものではないと思われる。もちろん、刑法一七五条に該当するわいせつ文書は、例えば麻薬のように一般的には社会的害悪を生ぜしめる可能性をもつ物とまではいえないとしても、社会的有用性をもたず、むしろその自由な流布が社会的害悪をもたらすとして法律が処罰の対象としているものであるから、文書が右のわいせつ文書にあたることが確定された場合にこれを没収すること自体は、たとえそれが思想の表現を抑止する効果をもつものであつても、当然に許されることに格別の問題はなく、また、右確定前の段階において、将来の没収に備えてあらかじめこれを差し押え、領置することも、有害文書の没収という目的のために必要やむをえない仮の措置として、一般的には是認せられるべきものということもできよう。しかしながら、この後者の措置は、当該文書の違法性についての仮定的判断に基づいてされるものであるため、結果的には正当な思想の表現として許されるべきものが一定期間抑止されることとなる可能性を常にはらんでいるものであり、他方、思想の表現においてはこれを行う時と場所が重要な意味をもち、その機会を失すればその本来の効果を発揮することができないこともあるし、また、そのための準備に多くの費用と労力を要する場合には、一定期間表現の機会を封ぜられることによつて結局表現そのものを断念せざるをえなくなるようなこともありうることを考えると、たとえ一時的抑止措置であつても、表現の自由に対し深刻、重大な制約を加えることとなるおそれがあることを否定しえず、本来許される表現とそうでない表現との区別の基準が一義的な明確性を欠き、微妙な判断を要求するような場合には、右の危険は特に大きいといわなければならないから、右の措置はあくまでも必要やむをえない最小限度の範囲内にとどめられるべきものであり、例えば、確定に至るまでの期間が合理的なそれを超えて長期にわたり、表現の自由の回復の必要性が領置継続の必要性に優越すると認めるべき事態に立ち至つたような場合には、もはや領置の継続は許されず、被差押者にその解放を請求する権利を認めるべきものと解する余地もあるし、また、当初起訴対象とされた文書についての裁判が長引いている間に被告人が更に同一内容の文書を出版しようとするのに対して即座にその全部を差し押えてこれを実現不可能とするような場合には、上記と同様の理由によりそのような差押自体の適法性が問題とされてしかるべきであるということもできるのである。このように見てくると、本件の差押許可状の発付は、さきに述べたように、憲法上かなり重要な問題をはらむものといわなければならないであろう。もつとも、本件においては、右許可状に基づいて実施された差押処分自体は前記のように軽微なものであり、被告人の表現の自由に対する現実の侵害としては特に問題とすべき程度のものではないのであるから、上に指摘した問題点を特にとりあげて深く論及を行う必要はなく、また、相当でもないと思われるので、ここでは単に問題点の所在を指摘するにとどめて置きたいと思う。

(本山亨 団藤重光 藤崎萬里 中村治朗 谷口正孝)

〔特別抗告申立書〕

〔申立の趣旨〕

原決定を取消し、司法警察員富田和男が昭和五四年一二月一八日、東京都千代田区神田駿河台二丁目九番地申立人事務所においてした別紙目録記載の各物件に対する差押処分は、これを取消すとの裁判を求める。

〔申立の理由〕

原決定は、次の理由により憲法二一条、三一条および三五条に違反する。

一 本件は、わいせつ文書図画であるとして摘発された申立人出版にかかる単行本「愛のコリーダ」に対し一審はそのわいせつ性を否定し無罪の言渡しをしたが、検察官がこれを不服として控訴中、右単行本を再版したところ、捜査官はこれを新たな被疑事件として立件し、右出版に関する物件に対し差押処分を行なつたという特殊な事案にかかわるものである。

二 原裁判所は、判決によつて文書等のわいせつ性が否定された場合には、それが未確定の一審判決であつても、その趣旨が尊重されなければならないことは当然であつて以後同一内容の文書等を対象とする事犯の捜査は慎重になされるべきことが期待されるが、このことは事実上のものに過ぎず、右一審判決の判断が、当然に同一内容の文書等に対する捜査活動を拘束するとすべき法的根拠は見出しがたいとし、本件差押処分は慎重に行なわれているので、捜査権の濫用には該らない旨判断した。

三 ところで本件差押処分のような強制捜査を行なうには犯罪の嫌疑が必要である。そして右嫌疑はもとより客観的合理的なものでなければならない。しかし本件単行本については、わいせつ性を否定した一審判決が存在する。そして右判決は未確定とはいえ、長期間にわたる審理と厳密な公判手続を経た上での公権的判断であり、本件単行本のわいせつ性の有無についての現時点における唯一の客観的判断といいうるものである。従つて、本件においては右一審判決が存在する以上、捜査官がこれを無視し、これに反し、本件単行本にわいせつ性ありと判断しても、かかる判断には何ら客観性がないといわなければならない。

四 現行刑事訴訟法は旧刑事訴訟法と異なり一審重視の立場をとる。刑事訴訟法三四三条ないし三四五条はその端的な表れである。とりわけ、刑事訴訟法三四五条は、一審において無罪等の裁判の言渡しがあつたときは、その確定をまたず勾留状は失効する旨規定するものであるが、これは、未確定とはいえ、当該時点における唯一の客観的判断である一審の判断は尊重されなければならないとの思想に基づくものである。してみれば、本件はその実質から右法条の趣旨が当然準用されなければならぬ場合といわなければならない。のみならず、捜査官は、右一審判決を不服として自ら控訴中であつても、現時点における唯一の裁判所の公権的判断である右一審判決が存在することに対してはこれを十分尊重しこれに事実上抵触する捜査等を行なつてはならない義務を負つていることは、憲法三一条に基づき捜査官に課せられた適正手続尊重義務に照らし明らかであるところ、本件差押処分は、捜査官において右一審判決の存在を無視し、自己の独断的判断を裁判所の判断の上に置いて行なつたものであつて、かような処分が許されようはずがない。

そうすると結局本件のような場合、捜査官は、既に一審判決においてわいせつ性を否定されたものと同一内容の本件単行本に対する捜査は、上級審において有罪の判断が示されない限り、これを差し控えるべき義務を課せられているとするのが刑事訴訟法三四五条等により明らかな現行刑事訴訟法の精神および憲法三一条の趣旨に合致するところであり、これに違反してなされた本件差押処分は、実際の捜査手続が慎重になされたか否か等個別の事情を問うまでもなく、捜査権を濫用して行なわれた違憲、違法なものというべきである。のみならず右のように捜査権限を逸脱してなされた本件差押許可状申請に基づき発せられた本件差押許可状は正当な理由により発せられたものとは到底認められず、右許可状に基づき行なわれた本件差押処分は憲法三一条、三五条に違反する。

五 しかるに、一審判決の尊重を事実上の要請にとどめ、これが本件捜査に法的拘束力を有することを否定した原決定は、刑事訴訟法の解釈を誤まり憲法三一条、三五条に違反するものである。

六 原決定は、本件差押処分が憲法二一条に違反する旨の申立人の主張に対し、右主張は犯罪の嫌疑がないことを前提とするものであり失当である旨判断しているが、右判断は申立人の主張を曲解したものであり、従つて申立人の主張に対し判断を尽していないものである。

申立人は原申立において、犯罪の嫌疑の存否はともかくとして、未確定とはいえ一審判決でわいせつ性が否定されている出版物と同一の本件単行本について行なう強制捜査は、表現の自由、出版活動の自由をとりわけ厚く保護する憲法二一条に違反する旨主張しているのである。

すなわち、本件差押処分によつて侵害されるのは、申立人の表現行為ないし出版活動である。そして一審無罪の判決が未確定であるがゆえをもつて本件差押処分のような強制捜査が許されるとすると、下級審の無罪判決を検察官が不服として上訴を続けている限り、当該出版物の出版は事実上不可能となる。しかも現実の上訴審の実態に照すと、事案の確定まで相当長期の期間を要するのが現状である。

従つて検察官は、自己の欲するまま、下級審無罪の判決の確定を上訴することによつて将来に引き延ばすことにより、長期間にわたり当該出版物の出版を左右することが可能となる。

かくして、当該出版物の出版活動は、実際上長期間にわたり、裁判所の司法的判断に優先して捜査官の一存により規律される事態が発生する。本件はそのような場合に該当する。かかる事態は、到底憲法二一条の許容するところではない。こうした場合捜査の必要および便宜は表現の自由、出版活動の自由に一歩を譲るべきである。

右のような事態を直接に招来させる本件差押処分は憲法二一条に違反するというべきであり、原判決定はこの点につき判断を誤まつた違憲なものである。

七 以上の次第で、原決定は、刑事訴訟法の解釈を誤まり憲法に違反するので申立の趣旨記載の裁判を求めるため本申立をする。

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